日本リヒテンシュタイン協会
Japanisch-Liechtensteinische Gesellschaft

 

世界の切手収集家を魅了するミニ国家の切手(7)

切手に登場した侯爵家の人々

 日本では天皇や皇室の人達の肖像が切手の図案になる事は先ず稀で、絶無とは言わないが滅多にない。その理由は、切手は一旦郵便に使用されると再使用を防ぐ目的でスタンプ、つまり消印が押印される。その際、肖像の顔が消印のインクで汚される可能性がある。これが不敬な行為に当たると主張する御仁が少なからずいるのである。殊に戦前に於いて、天皇陛下は神様扱いだったから、その肖像を切手にして、消印のスタンプでご尊顔を汚すなどと言う行為はトンでもない話だったのだ。ところが、国王を国家元首に頂く諸外国では、その肖像は国家の顔であるのだから、堂々と切手の図案にして、それを誇示することを憚らない。その辺りの考え方が他の君主国と日本ではかくも違うのである。リヒテンシュタイン侯国も他の君主国家と考え方は同じであるから、一番切手には往時の元首・ヨハン二世の肖像が使われているし、その後の侯爵や侯爵妃も盛んに切手に登場する。その代表的なものをご紹介して見よう。

 上に掲げたこの4種セットの切手は1929年12月2日に発行された侯爵即位記念である。第10代侯爵のヨハン二世の逝去を受け、第11代目の侯爵位を継いだのは実弟のフランツ一世であった。情に篤く、心優しい人柄から善良侯の呼称で国民から慕われたヨハン二世は生涯独身を貫いた為、直系の世継がなく、実弟がその跡を継ぐ事になったのである。券面の10Rp~30RpまではUPUカラーである。

 意匠は、10Rpはフランツの幼少期の肖像だ。20Rpは侯爵に即位した頃のものだから76歳の頃のものだ。女の子のような美少年がかくも変るかと思うが、歳月の経過は如何ともし難いのだろう。30Rpは妃のエルザ・フォン・グードマンだ。彼女はモラビア出身のユダヤ人女性であった。最初の夫と死別した後、1914年に傷病兵の救済基金活動を通じて、フランツ侯と知り合い、交際を始めたものの、弟のフランツを自分の後継者と決めていたヨハン二世は二人の結婚に強く反対していた。1929年2月にヨハンが逝去した事で、二人は漸く正式に結婚が出来たと言う経緯がある。結婚式は1929年7月22日、ウィーンで挙げられた。
 その時、フランツ侯76歳、エルザ妃は54歳であった。
 こうして、晴れて夫婦となり、しかもリヒテンシュタイン侯国の元首夫妻となった二人は、居所こそウィーンに留まったが、頻繁に領地を訪問し、領民達と親しく交わった。これは歴代の侯爵夫妻の誰もがやらなかった事だった。

 殊にエルザ妃は病院への慰問活動を行い、福祉施設を訪れ、困窮者の訴えに耳を傾け、貧しい人には進んで施しを行った。彼女の献身的な姿勢に領民達は感激し、彼女を慕ったのである。リヒテンシュタインにはフランツ1世夫妻の名前を冠した青少年の為の団体‘フランツ・ウント・エルザ財団’があって、現在も活動を続けている。

 上の3種セットの切手は1932年12月21日に発行された‘青少年の為の育英’と銘打ったもので、券面額にプラスして5Rpと10Rpの寄付金がついた福祉切手である。20Rpにはエルザ妃と民族衣装姿の少女たちが描かれ、30Rpにはフランツ1世とボーイスカウト姿の少年たちが描かれている。この切手も刷色は低額面から順に緑系、赤系、青系のUPUカラーとなっている。

 下の同図案刷色違いの切手は1933年8月23日に発行されたフランツ1世80歳の誕生日を祝して発行されたものだ。

 刷色の澄んだ美しいグラビア切手は一目見てクールボアジェ社製だと直ぐに判る。さて、老境に達して結婚した所為でフランツ1世には子供がいなかった。その為、5年後の1938年満84歳で彼が没すると、後継者はフランツの従兄弟の孫に当たるフランツ・ヨーゼフ二世と言う事になった。1938年7月25日、32歳で第12代の侯爵に即位した彼は、意を決し、歴代侯爵としては初めて自らの領地に住む宣言を行う。フランツ・ヨーゼフ二世が妃を娶ったのは1943年3月5日の事で、37歳の時であった。

 上の3種セットは婚儀を記念した切手である。
 妃はオーストリアの伯爵家の令嬢で、ゲオルギーナ・ブィルツェク、芳紀22歳であった。ご覧の通り気品に溢れた大変にお綺麗な方である。結婚式は歴代侯爵としては初めてリヒテンシュタイン領内のファドゥーツで挙行された。

 ゲオルギーナ妃は若いに似合わず高貴な者の義務を弁えた女性で、第二次世界大戦中は、強制労働に駆り立てられた人々や捕虜となった兵士達の解放に尽力し、ナチスドイツ降伏後の1945年6月26日にはリヒテンシュタイン赤十字社を創設して、その初代総裁に就任、赤十字活動に尽力した女性である。多くの国民から慕われ、ギーナの愛称で親しまれた。

 上の2種セットの切手は1955年に発行された普通切手の高額面である。彫刻凹版で製造された同国の高額面切手を代表するペアとして知られている。
 特に3Frの図案は30代半ばのギーナ妃の気品のある美貌を巧く表現した切手と言える。

 上にある4種セットは1955年12月14日に発行された同国の赤十字社創立10周年を記念した切手である。図案になったのはフランツ・ヨーゼフ二世とギーナ妃との間に生まれた子供達だ。上から長男のヨハネス(後のハンス・アダム二世)、二段目は次男のフィリップ、三段目に三男のニコラウス、そして、再下段が長女のノーラである。前述したように同国の赤十字社はギーナ妃の発案で設立されたものだ。創立10周年の記念切手に妃の愛息達や愛嬢の肖像が使われたのは至極当然の忖度なのであろう。長男は括弧書きの通り父の跡を継いで、第13代目の侯爵となり、次男は後にリヒテンシュタイン銀行の頭取、三男は外交官となり、EU代表部大使となった。彼の夫人はルクセンブルク大公家の娘、マルガレータ公女である。紅一点のノーラはスペイン貴族と結婚し、IOCの委員を務めている。実は侯爵家にはもう一人男の子がいる。四男のヴェンツェルである。彼の肖像は下にある同国赤十字25周年の記念切手の折に使われたのだが、不幸な事に1991年に病で早世してしまう。

 フランツ・ヨーゼフ二世侯爵夫妻を図案にした普通切手の高額面切手は1960年にも発行されている。
 下の2枚がそうであるが、こちらも彫刻凹版の見事な出来栄えの切手である。第12代目の国家元首であるフランツ・ヨーゼフ二世侯爵は現在のリヒテンシュタイン侯国の繁栄を築いた祖であり国父と言える。

 フランツ・ヨーゼフ二世侯の功績については先に紹介した植田氏の著書「ミニ国家・リヒテンシュタイン」に詳細が記述されているので、それをお読み頂きたいが、第二次世界大戦を挟んで、戦前・戦中・戦後と、この侯爵の巧みな舵取りが無かったなら、この小国は世界の地図上から消滅し、デッドカントリーのリストに加えられていた事であろう。

 上の切手は1964年に発行された普通切手の高額面で、切手の意匠に使われたのは往時、侯太子の立場にあった長男・ヨハネス侯子である。この切手が発行された当時は19歳であった。母親のギーナ妃譲りの整った容貌の貴公子である。彼はこの後、スイスのザンクト・ガレンの大学で経済学を修め、1967年7月30日にキンスキー伯爵家の娘であるマリー・アグラーエと結婚する。1984年に摂政として、侯爵としての実務を父親から譲り受ける。

 上の2種類は1984年に発行された普通切手の高額面である。この年、侯太子のヨハネスが摂政としての地位に就いた事に因み将来の侯爵夫妻という位置付けで発行したものと思われる。彫刻凹版と多色グラビアを組み合わせた切手である。
 ヨハネス侯子も不惑目前となり、将来の君主としての風格が横顔に漂っている。

 1989年11月13日、フランツ・ヨーゼフ二世は83歳の生涯を閉じられた。
 父親の死を受けて、ハンス・アダム二世が襲爵され第13代侯爵となられた。下の切手は1991年に発行されたもので、現在の侯爵夫妻を図案にしたものだ。往時46歳だった侯爵も現在は73歳になられ、長男のアロイス侯子に実務を託されている。

第八回(2019年9月掲載予定)